農業,大工,庭師そしてシステム屋と郊外で田舎暮らし

ゆっくり、着実に、形にしてそして色々なことを味わいながら田舎暮らしを・・・・。 (Slowly, steadily, shape, and enjoy a variety of things while living in the country.) (個人的なものはパスワードで保護しております) 観てもらうことより自らの記録に主体

       ■■ 観てもらうことより自らの日々の記録に主体をおいています ■■
          We put ourselves in our daily records rather than letting others see them

なんとなく

「そうだね、コロナ対策でもなく桜見物そして奥さんお桜花見え悩んでいるんだろうね」
「きっと奥さんは撮影に注文付けてるんでしょう」
「そりゃ、こんな姿になるさ」
・・・・日本のリーダーの姿とは思えません。そうでないことを乗っていますが、これが現実です。我が国のリーダーです。
Say It's Not True
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From Google Drive

 想い出多い2018年の立冬の風景。
濃かった夏の想い出を創って‥・・・。

 家を6時45分に出て東武東上線東毛呂駅下車の人間ドックへ行く。
8時10分頃駅に着き病院まで歩いてみることにする。

 12時20分頃検査が終わる。13時20分迄昼食時間。1階レストランに降りる。メニューから自由に選択することが出来る。ステーキを食す。
 今日の人間ドック後の昼食。食べる前の撮影を忘れ途中で撮影。

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 検査直後の結果を受ける。
以前告げられた結果は、「年相応の状態。今まで通り掛かりつけ病院の通院をすること。生活は今のままを維持すること。詳細は後日郵送します」と。

 

 今日、間もなく真夏ような気温25度弱に近づく。今年も大変暑かったがそろそろ家の夏装いをとく準備を始める。

 今年、竹が手に入ったのでいろいろそれを利用した。ブラインドの棒は竹にした。流石、竹は人工のものに較べ遥かに趣き風情がある。その流れは家の周りの竹棚にも及んだ。出来栄えは全く以前の面影は無い。そして、ごく最近孟宗雨だけが手に入った。鉄製の網や緑色の人工棒が気になっていた門のブラックベリー棚もそれに代えた。

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孟宗竹
で支柱を強化する予定
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何といっても竹が風情を変えた
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家の前も竹に代えた

 昨日、液肥をやったららぽーとの畑を見にゆく

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三浦大根も形をなす
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大丈夫に育つ高菜

 秋野菜の作つけを行う。朝から凄く暑い。さいたま市では最高気温が37度の予報。
 朝10時に出かけ2時間の予定で三浦大根と高菜の作付け(土掘りと整地)に精を出す。

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奥手のスイカ

嫁は夏野菜、ズキーニ、ナスそしてオクラのの収穫。今年は3野菜が異常に採れた。
一方、葛西さんはトマトを終えて雑然としている。夏の終わりを感じる。
 約2時間の作業で全身が汗。汗びっしょりだ。嫁に帰宅を促すがまだ余裕がある素振り。自分は見の危険を感じ早々に帰宅する。
冷水を飲み、シャワーを浴びクラーの元実を休める。嫁の帰宅をまち、冷たいお茶を用意提供する。
 「午後は?」と聞かれる。「ダラーッとしたい。スポーツジムは風呂だけ。その前はお茶を」とお爺さんになった態度。
 ふじみの野駅でお茶しながら来週火曜日PC勉強会のテーマ、グループウェアの検証を嫁tの協力で行う。
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ふじみ野駅からの西の空を眺める
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プレオンから観た夏雲

  このだらしない一時を楽しぬ二人を今日くらい神は許して頂けるかな? 

嫁に聞いた。「ヨキ又はヨオキって言う言葉、聞いたことある?」
竹棚作り最中、竹を割る斧が欲しくなった時、自分は斧をそう呼んでいた事をふと思った。
「え?知らな~ぃ。それ何に?」と嫁は驚いた様子だった。

 早速調べてみた。 ヨキ 斧の違いとは?


 
福岡県朝倉の山岳信仰を崇め又刀師(金剛兵衛一派)を祖先に持つ為なのかとふと考えた。父方のご先祖は山奥で林業も営んいたことも考えられる。

 母と一緒に父方の菩提、万徳寺を訪ねたことがある。住職時曰く、こん地方には刀師が2派ある。金剛派ともう一つ。
 私の親族に先祖の名前を頂いた者は居ない。祖母は私が生まれた時、先祖の名を付けたかったらしい。岩下金剛兵衛照房、5代前の人だった。今時、金剛兵衛は無いだろうということでそれを取り照房と名付けられた。菩提を後にし太宰府へ向かった。その地で偶然 金剛兵衛源盛高 の碑を偶然見つけた。
金剛兵衛
 2014年4月、生まれて初めて父の故郷朝倉市黒川を訪れた。そこで父の母校小学校にも行った。本家のご主人とも会話した。ご先祖が刀師ということも確認した。「うちのご先祖の金剛派一派は宮崎県日向にも居るそだ。美術館で刀を観た。」と話してくれた。



 宮崎県日向市には高鍋藩秋月家がある。調べてみた。
 「秋月氏はもともと筑前国を領していたが、豊臣秀吉の九州征伐のとき、時の当主・秋月種実が島津氏に与して抵抗し、のちに秀吉に恭順した。これにより36万石相当あった領地から、日向国串間3万石に移封された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、秋月種長は西軍に与して大垣城を守備していたが、9月15日の関ヶ原本戦で西軍が壊滅すると、いち早く東軍に寝返って大垣城にあった西軍の諸将を殺害して開城したため、所領を安堵された。その後、慶長9年(1604年)居城を財部城(高鍋城)に移し、正確にはこの時点より高鍋藩が成立したと言える。2代種春は、家老の白井種盛・種重親子による専横に悩まされ続けた。また財政が逼迫し、知行の半減などがなされて藩士の禄高は最高でも300石を出ないものとなる。3代種信は、その白井一派の専横により生じた問題(上方下方騒動)を解決し、悪化した藩財政の回復にも取り組んだ。延宝元年(1673年)財部から高鍋に城地の名を改めた。4代種政は、元禄2年(1689年)弟の種封に3千石を分与したため、以後の表高は2万7千石となった。」

 父方の母(祖母)は秋月藩の獣医の子で、獣医の兄は藩医だっ。その祖母が刀師の祖父と結婚した。
それを考えると高鍋にご親戚が居ても不思議ではない。更に調べてみた。

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 上杉鷹山に繋がった。
 「うちには、なん(何か)かしれん(知らない)が、古か資料がある。」と本家のご主人が話していた事を思い出した。

 今日は暑い夏の一時の涼を楽しんでいます。 
 台風のお蔭で気温が26度位。そして雨。暑かった日々の束の間の中休み。


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